ダライラマ法王亡命政府のあるダラムサラへはニューデリーのマジャヌカティラ(チベットキャンプ)から夜行バスで一晩でつく。


ダラムサラにはダライラマ法王邸があり、まるで、ミニラサ。たくさんのチベット人がいる。

彼らは中国側のチベットから、過酷なヒマラヤの冬を越えて、亡命してきたのである。街の至る所に、“NO! MADE IN CHINA!”と書かれた広告が目に付いた。

中国ではチベット人に対するチベット文化の教育がだいぶ規制されていて、彼らは漢語で勉強するよう強要されている。自分達の言葉を、文化を守るため、ダライラマ法王に会うため、沢山のチベット人が今までネパールやインドに亡命してきているのである。チベット側とネパールの国境にはつねに中国の公安がいる。だからあえて、彼らは厳しい冬を選び、何日も、何ヶ月もかけてここ、ダラムサラを目指してやってくるのだ。私達の想像を逸する世界である。

ダライラマ法王はたまにダラムサラで説法会を開く。ちかじか説法会があるか聞くため、街の中心にあるセキュリティofficeへ行った。

でも次はいつになるかわからないといわれ、ちょっと失望する。でも半年は海外で講演をしたりと忙しい法王と、今同じ土地にいれるだけで満足しないと、と自分に言い聞かせる。

でも、私はとてもラッキーだった。ダラムサラのメインのゴンパであるナムギェル・ゴンパで中国青海省からきたというラマさんと知り合いになった。彼は中国語が出来るので、ゴンパ内を案内してくれた。

そのあと街で再会した彼は、別の村で法王の説法会が開催されるので、私に一緒にこないかと誘ってくれたのだ。それを聞いたとき、興奮して嬉しくて、たまならかった。でも、私は行くかどうか、ちょっと悩んだ。

そこまで一緒に旅をしていた中国人の彼女は、visaと帰国するチケットの関係があるので一緒にはいけない。英語の全くできない彼女を一人でニューデリーまで帰らせるのは不安だったからだ。

でも、そんな私の背中を彼女が押してくれた。彼女はいかに私が法王に遇いたがっていたかわかっていたし、自分は大丈夫だから行け、といってくれたのだ。かくして、チベット人のラマ15人とともに、ダラムサラから車で3時間の小さな町の、ゴンパに向うこととなった。

ここで過ごした3日間は、このインド旅行で最もある意味ハードで、心にのこるものとなった。私が一緒にいたチベット人ははるばる中国から、法王にあうため危険を犯してやってきてる。インドへのvisaはない。それに持っているお金も限られているから、ホテルには泊まらないで村のコミュニティーホールとして使われている大きな会議室のような、コンクリートの床の広い一室にみんなでとまることになった。。


私も、旅の間は「郷に入っては郷に従え」の精神を大切に考えているので、彼らと一緒にその部屋にとまることにした。私達以外に各地からやってきた40人ばかりのチベット人たちは、みんなコンクリートの床の上にござをしいて、バター茶を飲みながらおしゃべりしている。

もちろん外国人は私ひとり。周りの人達がちょっと不思議そうな顔で見られているけど、あんまり気にしない。ついた日はやることもないので、一人で日記を書いていた。そして北京留学時代に私にとてもよくしてくれた一人のチベット人の友達の言葉を思い出した。

「インドにいくということは、ダライラマ法王に遇いにいくということだ。。」 

北京で再会したチベット人の彼は、私にそう言った。まさかこんな展開になるとは思いもしなかったけれど、これも縁なのかな。 

ホールにいるチベット人はインドに住んでいる人も多いせいか、中国語ができる人はほとんどいない。でもやっぱり私の大好きなチベット人だ。笑いかけたら皆笑いかえしてくれる。なんだかんだで異境からやってきた私を色々気にかけてくれた。

夜は彼らと一緒に床に雑魚寝である。

そして朝は私をつれきてくれたラマさんが大量のツァンパとバター茶をご馳走してくれた。正直、ツァンパは苦手だったけど彼ら好意を無駄にしたくなかったから、懸命に飲みこんだ。でも、、、やはりまずい。。これはちょっときつかった。

そして2日目、いよいよ法王の説法会へ。

大勢の人が来ていて、ゴンパにはいるのにもセキュリティーチェックがある。
参加者のほとんどがチベット人とラマ僧達で、外国人は少数。。ほとんどがなにかのグループとかで来ているようだった。
台湾人やスリランカ人、欧米人、そしてブータン人のグループもいた。彼らはGUESTとかかれたバッチを持っていて、外国人はそれがないと中には入れない。一緒にきたチベット族グループとはぐれてしまった私は、台湾人のグループに紛れて中に入る事ができた。中国語勉強しててよかった・・とちょと思う^^。。

法王が入場された時、たくさんの護衛や人だかりの中で、その姿を小さくだけど目にすることができた。


その人からでるなにか特別なオーラのようなものを感じた。チベット人たちは法王に手を合わせて、中には涙している人達すらいた。

法王は、写真でみたとおり、穏やかな表情をする方だった。説法はチベット語だから何をいっているかわからないけれど、とても優しい声だ。

本当にダライラマ法王を目の前にしていることが信じられなかった。

2日目の法王の講演のとき、停電がおこって、マイクの音が途切れた。私は法王はいったいどうなされるのだろう、と見つめていたら、その間やく20分以上、焦る様子もなく、のんびり音が再会するのを待っていらっしゃるようだった。その様子は本当にリラックスしていて、時に頭をやからだを揺らしたり、眼鏡を拭いたり。そんな法王の様子はいたって平静だった。


この説法会の間、よくわからないけどご飯がただでくばられた。でも箸がないので、素手で食べる。初めて手でご飯を食べたけど、なかなか悪くない。白いご飯にイモとゴーやの炒めもの。でも手を洗う場所もないので、もちろんその3日間はずっとおなかを壊しっぱなしだったけれど。

説法会にも2日間参加して私はニューデリーに帰ることにした。他のチベット人は南インドのチベット寺に、後数日後に向うらしい。誘われたけれど、時間がない。やむなく断った。

しかしこの小さな辺鄙な村からどうやってニューデリーに帰ればいいのだろう。バスもなければ、タクシーも見当たらない。みんな車をチャーターして来ているようだった。そんな一人で、立ち往生していたとき、商店を営むチベット人と知り合った。彼はむかし中国にいて、亡命してきたので少し中国語ができる。彼いわく、ニューデリーにいくバスは少し離れた街からあるという。そこまで、送っていってくれると申し出てくれた。。それは、途方にくれかけていた私にとってはまるで救いの手だった。感謝の言葉を述べる私に対して、その彼が片言の中国語でのいった言葉に、私は正直驚かされた。

「蔵族人、日本人、美国人、和中国人都一様。。(Tibet人も、日本人も、アメリカ人もそして中国人もみんな同じなんだよ。)」

開放というかたちで漢化され、独自の文化を失いつつあるその人たちのその言葉に、驚かされた。中国のチベット圏から、大変な苦労をして亡命してきた人たちのその言葉に。

今まで中国語を勉強してきて、中国で暮らしを通じて感じてきた、中国人の反日感情はもうずっと長い長いものだからどうしようもない、とどこかボーダーを引いていた、自分のこころの狭さを改めて反省した。
誰に対しても親切なチベット人。そのこころは現代の社会が、人々が見習うべきことがたくさんあるとおもう。

ダライラマ法王に拝見することができて、もちろん嬉しかったけどなんだか不思議な感覚がした。何千人ものチベット人が尊敬し、師とし、こころの支えをしている人だ。たくさんのチベット族が危険を顧みず、ダライラマ法王に謁見するため中国から目指してやってくるのだ。今回、法王に出会えた事に感謝したい。連れてきてくれたラマさんたちに感謝したい。私の背中を押してくれた、一緒に旅していた中国人の女性にも感謝したい。本当にたくさんの人に感謝する気持ちを大切にして生きていきたい。そうココロから感じた。

そして、ニューデリーから、ネパールでボランティアするために、飛行機でカトマンズへ飛んだ。

何日もかけて旅してきたその旅路を、飛行機ではたった1時間半で飛び越えてしまう。でも、そこから見た雲に突き出るヒマラヤ山脈の美しさがそんなぽっかりとした気持ちを癒してくれた。

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