アバ〜セーター(色達)
色達は直接のバスがないので、7時間かけてマルカムに戻り、翌日また8時間バスに乗りようやくセルタへ到着しました。
ここにきた目的。
それはラルン・ガル・ゴンパ(喇荣五明佛学院)を訪れること。
10年前には8,000人以上のラマ僧、尼僧が居たチベット最大のニンマ派の僧院。
かつては漢族など様々なところから信者を受け入れていたそうですが、あまりに規模が大きくなりすぎたため、当局から縮小命令が出て、地元出身者以外は強制的に追い出され建物も一部取り壊され、現在は1,000人あまりのラマ僧が暮らしているそうです。
そして近年、対外非開放になっているゴンパでもあります。
ゴンパの入り口に公安のチェックがあり、中国人が来訪するときでさえ身分証の確認があり、外国人は入れません。(※2010年時点)
私もこのゴンパを目指し、色達にやってきました、が。
この町、超寒い!!
今まで訪れた中で一番寒いっす・・・(床にこぼしたお湯が、数分後には凍るくらい。ミネラルウォーターやミカンも凍ってました。)
宿は今回最安値の一泊15元のチベタン経営の宿。
当然エアコンなし、シャワーなし(そしてトイレも壊れていて屋外でしろという・・)という部屋です。チベット旅でシャワーがないのはよくあることなので、それはいいのですがトイレがないのはさすがにきつい。
でも経営しているチベタンは(やっぱり)イイ人なので、暖炉(炕)のある暖かい彼らの部屋に招待してくれ、チベタンの子供と日本について話しをしました。
子供たちの質問というと、日本人にとってダライラマ法王的存在はいるのか、とか(毛主席か?という大きな誤解をしていましたが・・)韓国と日本は中国の一部か、日本とアメリカはどっちが遠いか?等というもの。
ここまで田舎だとやはり情報が入ってこないのか、まだ彼らが小さいからか、理由はわかりかねますが、スゴイ質問ばかりだったので、ガイドブックの地図を広げ、説明していました。
宿は今回最安値の一泊15元のチベタン経営の宿。
当然エアコンなし、シャワーなし(そしてトイレも壊れていて屋外でしろという・・)という部屋です。チベット旅でシャワーがないのはよくあることなので、それはいいのですがトイレがないのはさすがにちょいきつい^^;
でも経営しているチベタンは(やっぱり)イイ人なので、暖炉(炕)のある暖かい彼らの部屋に招待してくれ、チベタンの子供と日本について話しをしました。
子供たちの質問というと、日本人にとってダライラマ法王的存在はいるのか、とか(毛主席か?という大きな誤解をしていましたが・・)韓国と日本は中国の一部か、日本とアメリカはどっちが遠いか?等というもの。
ここまで田舎だとやはり情報が入ってこないのか、まだ彼らが小さいからか、理由はわかりかねますが、スゴイ質問ばかりだったので、ガイドブックの地図を広げ、説明していました。
その後、町の中心(とはいっても超狭い)に翌日のゴンパ入りのため、以下購入。
・マスク(チベタン女性はかなりの割合で付けている)2元
・マフラー(チベタンが頭によく巻いている)15元
・チベット族の上着(中は何かの毛つき)130元
・縞模様のビニールバッグ(これ、中国に来たことのある人はわかりますよね)8元
チベタンに扮して入る計画です。
ちなみにこのジャケット、内側は羊毛でもこもこです。この後この上着がバックパックのほとんどを占めたことは言うまでもない・・・・。
この日はセルタに一泊。
翌朝、 マフラーをチベタン風に頭に巻き、マスクをし、上下チベット衣装に身を包み、荷物をビニールバッグにいれ、気合をいれて翌朝7時半に出発。
でも、まだ日も明けていないので、当然乗り合いタクシーもおらず。
犬が吠えているのにビクビクしながら(チベットで一番怖いのは犬!)30分ほど待った後、チベタンのおじちゃんの乗り合いタクシーをチャーターし、ゴンパに向かいました。 (40元)。
事前情報ではラマ僧などと一緒に車を乗りあって向かうのがいい、とあったのですが、この寒さに負けたのと、おじちゃんの「安心せい!」の一言を信じゴンパへ向かいました。
さて、翌朝。早朝タクシーで出発し 30分ほどしてゴンパ入り口の村に到着。
入り口には沢山のチョルテン(仏塔)があり、ドキドキしていたら、さくっと、チェックポイントを通過。
どうやら朝早かったので、チェックが始まっていなかったようです。
あまりに簡単に入れてしまったので、ちょっと拍子抜けしたのもつかの間、目の前に広がる、丘を埋め尽くす僧群坊に圧倒されました。
今までチベット仏教のゴンパ、数十件は訪れましたと思いますが、この規模のゴンパは過去最大。
これでも縮小されたというのだから、びっくり。
ここはゴンパといっても学院なので、ほかのゴンパのように中にはいってお参りできるような経堂はなく、山頂にあるチョルテン(仏塔)をみなコルラ(時計周りで回る)し、お参りしているようでした。
このエリアの女性は頭にメノウやトルコ石などを三つ網に編みこみ非常に美しく、思わず見とれてしまいました。
中には売店だけでなく、なんとATMや中国聯通(携帯の会社)もありました。
ゴンパではたくさんのラマやチベット人が生活していました。
私も外国人ということを隠し丘を巡っていました。
バックパックを預かってもらったチベット族のお兄ちゃんに「どこから来たの?」と聞かれ、つい「日本」と答えたら、とても驚いた顔をされました。
このゴンパでは宿泊もできるようですが、ひとしきり歩いたため、昼過ぎには乗り合いタクシーで次の町、ダンゴ(炉雀)へ向かうことにしました。
ダンゴ到着後、私は翌日ガンゼに行くつもりが、そのままガンゼ行きのミニバンに連行され・・・。
乗り合いタクシーのあと1人が集まらず、1時間程待っていたら、1人のはずが最終的に3人増え、8人乗りミニバンに9人乗り、ぎゅうぎゅうのなか、出発。
道中は私とドライバーさん以外はラマ僧&尼僧。なかなかない体験です。
ダンゴ到着後、私は明日ガンゼに行くつもりが、そのままガンゼ行きのミニバンに連行され。
今度は8人乗りのミニバンに10人+1匹(2人は子供^^)。
完全定員オーバーなのですが、公安のチェックポストの前で2人降りて先に歩き、ポイントを過ぎてからまた乗せるということを繰りかえしていました。なかなか考えるな~と感心。
3時間後、ガンゼ(甘孜)に到着しました。
2020年追記:数年か前に中国の国内線のフライトを利用した際、機内誌にラルンガルゴンパが大きく掲載されていました。きっと今は観光客も多くなり、こうした景色は見ることができないのかもしれません。