ギャンツェ
ヤムドク湖から城塞都市ギャンツェへ。 ラサ、シガツェに継ぐ第3の町です。
108の部屋に美しい壁画や仏像が納められたパンコル・チョルテン、昔もきたけれど、ここの壁画はやっぱり素敵。(40元)
ちなみに内部もお金を支払えば写真撮影可、となっていました。
チョルテンに上がるには更に10元必要。5階までは上がれます。15世紀当時のチベット美術は美しいです。
ギャンツェに1泊。YETI HOTEL(220元/1部屋)。
お湯も出てwifiもあり快適な宿でした。
翌朝、 まだ満点の星空のもと、朝のお散歩。
歩いていたチベット族のおじいちゃんを追って、パルコルチューデへ。
チベット族はお経を唱えコルラしています。朝のほうが雰囲気を感じることができるかもしれません。
写真は、1904年チベットに侵攻したイギリスの「武装使節団」と戦闘が行われたのが、岩山にそびえるギャンツェ・ゾン(城砦)。
昔は手前の塔がなかったように思います。
シガツェに向かう道中、シャル寺も観光(40元)。
古そうな壁画がたくさん。経典も無造作に置いてあり、壁には土でできたトゥトゥがたくさん置いてありました。2階にも古そうな曼荼羅で四面に囲まれた部屋もありました。
隣接するカフェ(?)で飲んだチャイも美味しかった。
シガツェ
チベット第2の都市シガツェ(3,836m)へ。
10年前デコボコ道をひたすら歩いて、宿探しに難航し、酷い宿に泊まった苦い思い出のあるこのシガツェ。正直、同じ都市とは思えないくらい、ものすごい変化していました。
すべての道に北京路、上海路、青島路と中国の都市が付けられている。。
午後は歴代パンチェンラマの居城・タシルンポ寺を観光しました。
オフシーズンだったのでチケットは半額で40元でした。
宿泊したホテルは280元(1部屋)。都会だったのでちょっと高め。
翌日は一気に空港へ。
路肩の道はすべて禿山でした。ドライバー曰く、この6.7年で雪山がすべて溶けてしまったそうです。土の道がアスファルトになり、それによってどんどん気温が上がってしまった。ラサからシガツェまでも昔は6時間かかったが、今は4時間で行けてしまう。今年8月には列車も開通する・・・。
そんな話を聞いていて、チベットの変化は地球環境の変化を如実に表している、そう思いました。
空港にはかなり早く到着してしまったので、空港そばのチベット料理屋さんでお昼を食べて、ドライバーとガイドくんに別れを告げて、午後のフライトで一路、ラサから成都へ。
飛行機は窓際がお勧めです。
成都では空港そばのホテルを予約していたので、最後の晩餐は四川料理を味わって、翌日東京へ戻りました。
完全自由な旅とは違って、ガイドもドライバーさんもいたこの旅。
とはいえ、ラサの街など思ったより自由に歩きまわることができました。
とはいえ、私が目にした光景や、耳にした話も情報も、きっと限られたものだと思うけれど、この旅でしつこい位(ゴメンなさい)ガイド君にいろんなことを聞きました。
案内する 外国人に政治的な話ばかりされて「たまに本当に面倒」とボヤいていた彼。
昔より道も整備され、街もよくなって、漢族の中にはチベット語を勉強したり、チベット文化を学んでいる友人もいる。漢族の友人と時には 起こった「事実」 として、「解放」の話もするんだよ、と。
それを聞いて、若い人たちはある程度この現実を受け入れ、インターネットを通じ情報もある程度はある、今ある生活のなかで
「よりよく生きていこう」としている、そんな風に勝手ながら感じました。
漢族と共存しながら、チベット文化を彼らなりに守っていく。これも「高度な自治」と考えられるのか?もちろん、わからないけれど。
ただ、彼らの言う「没弁法(しょうがない)」。
その言葉だけは、とても耳に残りました。
ちなみにラサは、中国で幸福度の高い都市ランキングで上位だそうです。
http://j.people.com.cn/94475/8563420.html
10年で変わったのは、街の発展ぶり、数えきれないくらいのけいさつ、どこを見上げてもはためく赤い国旗、移動中に垣間見えた自然環境と、目に見える変化だけでは、ないのでしょう。
でも、笑いかけると必ず笑い返してくれるチベットの人たち、
青い空、深い信仰心、そして親切な人々。
これはいつまでたっても、きっと変わらないと願っています。
またいつか、ラサを訪れることができますように。
そして、ラサに暮らす人々がより穏やかに、日々をすごせますように