シャングリラではちょうど旧正月だったので、のんびり年越ししました。

ここは比較的大きな町なので、 狂犬病のワクチン接種ができる場所も、商店などほとんどが閉まる旧正月中であっても時間を決めて開いていました。
噛まれてから3日も経過しているので、お医者さんには軽く怒られました。あと4回受けないといけないので、ここであと一回受けて、あとは接種のため日本に帰国することにしました(日本では一度ですみました)。


シャングリラで迎えたお正月。
大晦日は友人宅でチベット風火鍋を食べ、爆竹を鳴らし、中国版「紅白」をCCTVで鑑賞。年越しカウントダウンの20分前位から各地で爆竹&花火の嵐、なかなかにぎやかな年越しでした。

お正月2日目、まだお正月休みでほとんどのお店は閉まっているのですが、
市内にある古い街並みの古城を散歩しチベタンの踊りを見たり、

亀山公園にある巨大なマニ車(中に経典が入っており、一回回すと,一度お経を唱えたことになります。

2度目の狂犬病のワクチンを接種し、一風変わったユースホステルに宿をうつしました。

市内から約5km、草原の真ん中にぽつんとたたずむ、周りには何もない大きな犬を4匹飼っているユースです。

周りは山に囲まれ、一面に草原が広がり、チベタンの民家がぽつぽつあるのみ。
馬に乗る少年達やヤクを放牧する親子に来る途中出会いました。

ユースや安宿は市内の古城にも沢山あるのですが、あえて郊外のこの宿にやってきました。

気持ち的に、そんな気分です。

きっと皆、家族と過ごすお正月だったからかもしれません。
一人で過ごしていた訳ではないのですが、無性に寂しくなってしまいました。

こんな時は都会(っていうほど大きくもないけど)を離れ静かなところで一人、自分と向き合うに限ります。

チベット文化圏を旅していると、よく「人との付き合い方」を考えさせられます。
ブータンでも、チベットでも、私がチベット文化圏で出会った人たちは「家族」はもちろんのこと、友人、その親戚、旅で偶然出会った私のような異国の人間に対しても、「思いやりの心」を持ち、助けあい、日々生きているように感じます。

ブータンのガイドさんが、田舎から親戚の子供が来れば(5,6人で何カ月であっても)面倒をみるのが当たり前と話してくれたのを思い出します。

旅で出会ったチベタンも「もし君が旅の途中食べ物がなくて困っていたら、チベット族であれば君に食料をくれ、助けてくれるよ」と言っていました。

ここのチベタンの友人も(お正月中お店は閉まっているので)
「いつでもここにご飯を食べにおいで、君は家族と一緒だから」と言ってくれました。私を一人にさせることを心配し、家に呼んでくれたりお寺に連れて行ってくれたり、本当に親切にしてくれました。

いつも思うことなのですが、彼らは「give and take」の精神ではなく、「give and give」で生きているように、思えます。無理をしてではなく、自然に、そうした考え方を持って生きているように思えます。

もちろんすべての人がそうであるかはわかりませんが、私が出会ったほとんどのチベタンはそうでした。
私が何度もチベット文化圏に戻ってきてしまう一番の理由は、きっとそこにあるのだと思います。

浄土宗の教えにある、「共生(ともいき)」という言葉。

人との付き合いは、相手に執着せずに、相手を思いやっていきてくこと。
自分のためだけの生き方ではなく、自分の行き方が人に感銘を与え、人に幸せをもたらすこと。そうやって、共に生きることが大切
、というような、教えです。

この言葉を聞いて、ここの人々の生き方に近いように思いました。
彼らが「自分の行き方が人に感銘を与え、人に幸せをもたらすこと」を客観的に意識しているとは思いませんが、相手を思いやり、相手と共に生きる生き方を実践しています。

自分は、どうだろう、、、と。
この何もない草原で、そういうことを改めて考えてみたいと。

また、この宿には「星の王子様」が置いてありました。
草原で読書を試みるも、突風と冷気に負けて20分で断念し。
昼間はひたすら散歩し、夜は暖かいダイニングルームでまったりしていたら、日本人の旅人がやって来ました。


この宿のいいところは、予約をすれば夕飯をスタッフや他の旅行者と一緒に食べるサービスがあること。20元で沢山のおかずを囲んで皆でご飯を食べることができます。それがまた、美味しい^^。

ここ数日、近辺を散歩する以外、チベット族の友達に火鍋をまたもやご馳走になったり、日本人の旅人と火鍋を食べにいきました。

今まで1カ月間、日本人はおろか旅人にあまり出会わないルートだったため、久しぶりに色々な方と出会い、母国語で色々な話が出来て楽しかったです。 これから陸路でラサへ向かう人、とてもよい表情の人を撮る写真家、香港で働く方、留学中の方、大学の休みで旅行している方。旅の縁って、面白いな~と思いながら久しぶりの日本語の食卓を楽しく過ごしました。

<雪も降りました>

そして、シャングリラから寝台バスで11時間かけて四川省のパンズーフアへ。
中国の寝台バスは2段ベッド(縦170cm×横30cm位)が通路をはさんで横に3列。
寝返りは全くうてない幅の狭さですが、足は伸ばせるので比較的快適です。

朝5時に到着し、バスターミナルが開く時間までそのままバスの中で寝かせてもらい、その後2時間半かけて、北京留学生時代の友人を訪ねて、西昌へ向かいました。

その後、西昌から成都の移動は旧正月の民族大移動がまだ終わっておらず、バスも列車もチケットが買えないため、結局チャーターで成都まで移動。
最後の大移動、11時間のミニバンは結構しんどかったです。

成都では文殊院というお寺や公園の中にある露店茶館、お正月の「廟会」やつぼマッサージにも行きました(また別記事にて)。

最後の夜はインドで知り合ったチベット族の友人との夕食。


アバではこの友人のお宅に滞在させてもらったため、家族の写真を見せたり、色々と話をしたりと、楽しいひと時を過ごしました。

彼には8人の兄弟がいるのですが、そのうち半分はインドで暮らしています。
そのため、家族が全員揃うことはもう不可能だそうです。

中国のチベット文化圏からこのようにヒマラヤ高原を超えてインドに亡命する人は後を絶ちません。
インドにはチベット人を受け入れるコミュニティがあるし、何より彼らの信仰や文化をありのままに、子供たちに伝え、教育することが出来る環境にあります。

友人自身、中国のチベット文化圏の都市、成都・北京など大都市でも暮らしたことがあるのですが、やはりインドのダラムサラ(法王様の亡命政府がある都市です)が一番暮らしやすいとのこと。

理由を聞くと、「やはり精神的に一番楽だから」だそうです。
(楽、と訳すのは適切か判り兼ねます・・・)

中国国内でチベット族の人たちは、自分の考えを話すとき、その場所や話す相手に何より気をつけなければなりません。
一度危険分子と判断されると、どんなトラブルが降ってくるか、今までの歴史から彼らは学んでいるから。

彼らは崇拝している人を表だって拝むこともできません。
チベット仏教のお寺でさえ、監視カメラがまわり、武警(警察や軍人)が駐在していたり、お寺の事業もすべて管理のもとで行われているとのこと。
それは2008年の暴動後ではなく、ここ四川省のチベット文化圏の大きなお寺では解放後の党のもと、ずっとそのようになっているそうです。

また、もっと悲しいことに。

2008年北京オリンピック前の暴動後、チベット族自体が危険分子として敵視され、何もしていないのに街中で「身分証提示」を警察に求められたり、都会の宿泊先ではチベット族というだけで宿泊を断られたり、また漢族(もちろん、すべての人とは言いませんが)から差別を受けたりするそう。

それを聞いて、「こんなに平和を愛する民族が“危険”なわけない!」と感情的になってしまった私に対し、友人は、こう言いました。


「チベット族だって完全独立を求めているわけではない、それが不可能なことは今の中国の状況からしてもそうだし、法王自身も現在は求めていない。
ただ、信仰や思想の自由という、人間の基本的な人権が欲しいだけだ。」

私がこの旅で出会ったチベット族の何人かに、「彼らには人権などない」と言われました。
私自身も旅をしていて、それが守られていない状況を感じました。

確かにこれだけ漢化が進み、経済的にも中国に依存した今、チベットの「独立」は望めません。

でも、チベット族がいかに信仰心の深い民族か、チベットを訪れた人なら知っていると思います。
いかにダライ・ラマ法王を信じ、崇拝しているか、ひそかに入手した法王の講話のDVDや写真を眺め、拝む彼らの表情を見れば、ひとめで感じることができるとおもいます。
(かつてインドで法王に会うため、一緒に行ったチベット族は法王を前に皆涙を流していました。)

政府がいかに法王を批判し、TVで「いかに党がチベット民族の暮らしを改善したか、主席が素晴らしい人物か」というCMやそういった歌詞の音楽を流したところで、意味のないこように思えます。
そんなことに影響されるほど、チベット族の信仰は浅くありません。

そんな彼らの深い信仰心が守られる環境に今後変わっていくことを、心から望むばかりです。
それこそが「改善」なのだと、私は思っています。

文化大革命の際、チベット文化圏の多くの寺院が破壊されてしまいました。(インドやブータン、ネパールのチベット文化圏と中国のそれを比べた際、文化的遺産の保存度合いが違います)


しかし、鉄道の開通や中国の観光ブームの前に各地のお寺を改築し、今や一大観光スポット。
昔はタダだったお寺には高額の入場料を設定され、外国人もチベット自治区入境に際しては、現在はガイド付き・許可証(高額)がなければ、観光すらできなくなってしまいました。

中国人のチベット旅行ブームも手伝って、以前に比べるとラサの観光収入は数倍にもなったそうですが。
はたして、その観光収入はチベット族の生活に還元されているのかどうか。。
漢族の人口がチベット族の人口を超えたという事実からも「党が果たした広大な貢献と改善」に矛盾を思えてしょうがありません。

それが、今回の旅で知った、現在の中国のチベット文化圏の状況。

でも、私がチベットの自然・人・文化が大好きなことには、何があっても変わりません。
チベットの高い空、美しい雪山やターコイズブルーに輝く湖などの自然、誰に対しても親切な人々、
お寺の神々、踊りや建築など彼らの独自文化、まだまだ魅力的な場所はチベットに多くあります。
彼らの素晴らしい文化を何らかの形で多くの人に知ってもらいたい、そう思っています。


Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です